
by_koki_tanaka_at_mori_art_museum_2
かなり間が空いてしまいましたが、森美術館でのアージェント・トーク、後半のQ&Aを公開します。聞き手は森美術館の片岡真実さんです。ここのところ忙しすぎました。 オリジナルの収録日:2011年7月29日、森美術館主催によるアージェント・トークにて。 2/2
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日本語で話す(あるいは書く)ということはいやおうなくローカルなものになる。なぜならそれは日本語を分かる人たちのために話したり書いたりしているということを意味しているからだ。もちろんそれは翻訳されることもあるだろう。だけれどもほとんどの発話は、そしてほとんどの文章は、翻訳されることもなく日本語のままぼくたちの目の前を流れていく。それをぼくはネガティヴなものとしてとらえてきていた。...

かなり間が空いてしまいましたが、森美術館でのアージェント・トーク、後半のQ&Aを公開します。聞き手は森美術館の片岡真実さんです。ここのところ忙しすぎました。 オリジナルの収録日:2011年7月29日、森美術館主催によるアージェント・トークにて。 2/2

今回の「言葉にする」は、森美術館で行ったぼく自身のアーティスト・トークの様子をお送りします。ここ数年の近作について、じっくりと話しています。まずは前半の作品の話をどうぞ。 オリジナルの収録日:2011年7月29日、森美術館主催によるアージェント・トークにて。 1/2

さて、金氏徹平くんとの最終回は、日本の現代美術について。 日本の現状はいい気もするけど、日本の現代美術がこうなったらいいってありますか、金氏くん? 話はその後、海外で受け入れられる日本のアートにおよびます。いまでもそれはステレオタイプなものが多くげんなりします。 ではまた次回まで...

金氏徹平くんの5回目は美術史についてです。 ぼくらにとって美術史は重要なものです。そこには先輩たちの苦闘がきざまれているわけですから。 金氏くんはこのなかでひとりひとりがそれぞれの美術史を持てばいいという話をしています。そのとおりですね、過去の作品にはさまざまなヒントが転がってい...

金氏徹平くんはいま、京都市立芸術大学の常勤講師をしています。この四回目ではそんな美術大学での教育について話してもらいました。 教育になにができるのか。金氏くんなりの教育方針とはどういうものでしょうか。それはひとつには環境を作ることであると。全員が作家になるわけではないので、それを...

金氏徹平くんの三回目、今回は制作の話です。 最初に岡崎乾二郎さんと松浦寿夫さんによる『絵画の準備を!』(朝日出版社、2005年)をきっかけに話しをはじめています。イメージが先か、アイデアが先か。マチスとアンドレ・マッソンを軸に、制作をめぐって話はつづきます。 金氏くんは制作のルー...

金氏徹平くんの二回目。引き続き映画の話をしています。 ドキュメンタリーって気になるんですが、即興的な演出によるフィクションもある意味では役者の行為のドキュメントですよね。 ぼくがなかで話しているのは諏訪敦彦さんによる「mother」という映画です。哲朗とアキという同棲中のふたりの...

今回はアーティストの金氏徹平さんをお迎えしてお送りします。 たまたまロッテルダムの展覧会( Making is Thinking@ Witte de With )に一緒に参加する機会があって、時間をみつけてもらってホテルで収録しました。 今回は映画の話、制作の話、教育、美術史、日...

齋木克裕さんの最終回は「アーティスト・イニシアティブ」について話しました。 アーティスト主導でできることもたくさんあると思います。そうした小さな声が複数の場所から起きることによってぼくたちのシーンは豊かになると、ぼくは思います。アートというシステムはどん欲にそうやって育ってきたと...

引き続き齋木克裕さんの回、ここからは自宅に戻って二つ目のトピック「ニューヨークと東京の違い」について話しています。 齋木さんは2003年からNYに住んでいるのでもう8年になりますね。はたしてアーティストとしてNYに住むってどんな感じなんでしょうか。ニューヨークはアートの中心なんで...

前回に引き続き、NY在住のアーティスト、齋木克裕さんを迎えてお送りします。 カフェでの話の続きです。前回と合わせてお聞きください。 オリジナルの収録日:2010年11月5日夜 2/4

だらだらと日々すごすうちに、ずいぶんと更新が滞ってしまいました。 今回はNY在住のアーティスト、齋木克裕さんを迎えてお送りします。齋木さんがどのような作品を作っているのかは彼のwebsiteをみてもらうとして、今回ぼくはNYの齋木さんの自宅を訪ね、次の三つのことについて話してきま...

最後はこのあと遠藤くんがひかえている曽根裕さんの個展の話。いい作品をつくろうという意志が、社会性に繋がり、歴史に繋がる。作品って本来そういうものであり、それをシンプルに目指すことがアーティストであると遠藤くんは語ります。 そうですね、ぼくらは右往左往しながらも作品の制作にしがみつ...

パーマネントなものとはなにか?作品そのものが美術館にコレクションされ、置かれている状況をパーマネントなものと呼ぶこともできるけど、作品を通して共有されたアイデアがひとのなかに残っていくことをもパーマネントなものと呼べるんじゃないか。アイデアの共有による連鎖。遠藤くんが言うようにそ...

アーティストとキュレイターとの関係のことをぼくが振ったら、作品に流れている時間にどうアプローチするかってことに興味があると遠藤くんは言います。作品の持つ独特の時間性、それはけっして通常のシステム、美術館の時間には合わないのかもしれない。それならばその「別の時間」について考えてみる...

二回目セッションでも引き続きレジデンスでのアーティストの生活について。 こんな感じでゆったりと考えてくれているディレクターっていいですね。大概はなにか結果を求められたり、せかされたり、つらいときもあるので。 そして東京とアーカスのある茨城という二つの地域を行き来しながら遠藤くんが...

だいぶご無沙汰してしまいました、「言葉にする」第7回のゲストはキュレイターの遠藤水城さんです。 ぼくがアメリカに来て一年がすぎて、この間、海外のいくつかの場所で展覧会をしながら、社会とアート関係のことをいつも考えさせられてきました。自分の作品がまったく別の文脈のなかに置かれたとき...

最後のセッションではなぜ絵画を選んだのかというと問いから出発してます。 絵画は無理だろうと思われているからこそ、そこに期待がないからこそ、逆にニュートラルにアクセスできるメディアとしてを選んだ、と南川さんは話しています。ビデオはまだ若いメディアですが、普及率で言えば、同じようなも...

四回目のセッションでは、作品はどこまで理解されるのか、どこまで理解してほしいのか、いやそもそもなにが理解なのか、ということについて話してます。 話の中で触れているテキストや映像は以下。 ・林卓行「〈リアルな芸術〉のありか」『現代芸術論』(武蔵野美術大学出版局、2002) ・Jos...

三回目のセッションでは「最近、気になる絵描きは誰でしょう?」って問いから出発してます。歳が近いアーティストは気になりますよね?僕の場合は絵描きさんよりもコンセプチュアルなアーティストが気になっちゃいます。 途中で触れている1976年生まれ以下のアーティストを集めた本は、"The...

一回目からつづけての収録。制作についての話は続きます。 ・仕上がりの粗雑さ、失敗のテイストを練習する。 ・成功と失敗の差が分からなくなる。 ・絵画とはそもそも裏側のないものである。 話のなかで出てくるマチスのドローイング、これはピカソの間違いでした(pas_pascalさん感謝!...

第六回目の今回は南川史門さんのスタジオにお邪魔してます。南川さんとは2001年「アートイング」(セゾンアートプログラム、旧牛込柳原町小学校)での展覧会以来の付き合いです。 ぼくはもともとは絵を学ぶために美大に行ったんですが、なんだかんだとしているうちに結局そこからずれていってしま...

「保坂さんとの最終回はぼく自身への疑問?提案?で締めくくられます。ぼくが「世界」というならばそこにはなぜ「他者」がいないのか。ここでぼくはそれに対してうまく答えられてません。課題です。 というわけで三回目の「言葉にする」を終わります。このあとぼくはLAに引っ越すので、ときどきは「...

たいへんお待たせしました。保坂健二朗さんとの4回目アップです。1年ぐらいかかってしまいました。ちなみに3、4、5回目のセッションはインターバルなしで録音してますので、もう一度3回目からつづけてお聞き下さい。 美術におけるテキストというものを、ぼくは作者自身についてよりも作品につい...

戦後アメリカ美術の背景には大衆文化(ビート・ジェネレーション)があり、ビートニクの背景には東洋思想がある。つまりコンテンポラリー・アートの背景にはそもそも東洋思想があるんだってことなんですね。だからぼくたちは、なにも表面的に日本的な表象を使わずとも、直にアート・ヒストリーに接続で...

日常のなかのノイズに気づくこと、それによって見えていた風景が変化していく。 作品の装いはカズさんのとぼくのとではまったく違いますが、その核となる考え方には共通点がたくさんあるんだなってことに気づかされました。 また話は、戦後アメリカ美術にやられっぱなし(?)の日本のアートの話にも...

このセッションではぼくが「展覧会」という制度の問題について疑問を投げかけてます。ぼくがそこで考えていたことは制度を単に否定することではなく、そのなかにいてどのようにアーティストが自由を取り戻すかって問題でした。話は作品をめぐる経済のことにも発展します。でもどうも今回、舌足らずでう...

さて、第五回目はカルフォルニア・シリーズ第二弾ということで、LA在住のアーティスト、大城カズ(大城康和)さんをお迎えしてます。 ぼくがはじめてカズさんの作品を見たのは、いまはなきRelaxというカルチャー誌上ででした。ピンク色のマーシャル・アンプの積み上がっている作品で、それが実...

最後は、せっかくだからLAの印象を、となおさんに言われて話してますが、いつの間にか映画の話に。ぼくらにとってはとても悩ましい存在です、映画は。 というわけでまた次回。 オリジナルの収録日:2009年8月1日 5/5

ぼくがなおさんと話したかったひとつの理由に映画のことがあります。どんな映画が撮りたいのか、どうやって撮りたいのか、そんな話を前にもしたことがあって。 ぼくは映画をじぶんの娯楽としてたぶん位置づけているところがあって、そのへん、なおさんは映画をじぶんの制作の方法論として据えていると...

パフォーマンス・ベースの作品をのちに見せる場合、もはやライブな経験は失われているので、付随するプロップやドキュメントを見せることになります。もはや失われたものを想像して見るっていうことがぼくにはどうも疑問でした。なぜならその場に居合わせていないひとには評価のしようがないものだから...

なおさんとの二回目のセッションです。 カリフォルニアのアーティストについて、カタログを見ながら話してます。ミニマリズムやコンセプチュアル・アートが東海岸から西海岸へ入ってくると、なにかプラスアルファの要素が加えられて変容している、ひとつべつのレイヤーが入っている、ってなおさんは言...

第四回目の今回は、LA在住のアーティストの廣直高さんをお迎えしてます。 せっかくなのでカルフォルニアのことを、ってなおさんが言ってくれたので、まずは彼自身の作品のことを絡めつつ、LAのアートについても話してもらってます。まだまだLAのことは知らないことがたくさんなので、とても興味...

こんにちは、田中功起です。今回はひとりで近況報告です。長坂常さんの「B面がA面にかわるとき」について話してます。メールアドレスも作りました(本編では言うのをさっそく忘れてます)。感想や間違いの報告、要望、あとはぼく自身への質問などもどうぞ!ポッドキャストで取り上げることがあるので...

ひきつづき保坂健二朗さんとの三回目のセッションです。 ある鼎談で、保坂さんが「なにも頼まれなくてもやっているひと=アーティスト」と言っていたことをぼくは気になっていました。アーティストって何者なんだろう。保坂さんはどうそれをとらえているんでしょうか、そういうことについて話してます...

保坂健二朗さんとの二回目のセッションです。すみません。ずいぶん間が空いてしまいました。 ここでは一回目のセッションにひきつづき「書くということ」について話しています。単に新書や雑誌を否定するのではなく、新書でしかできないことや一般誌でしかできないことの可能性について保坂さんが話し...

第三回目の今回は、東京国立近代美術館の保坂健二朗さんと話しています。同級生の活躍ってなんだか気になるもので、保坂さんは同級生です。たとえば本上まなみさんも同級生ですね。 保坂さんは2008年に「建築が生まれるとき ペーター・メルクリと青木淳」と「現代美術への視点6 エモーショナル...

粟田大輔さんと話す、その4 最後のセッション。ここでは話題をかえてポッドキャストについて話してます。粟田さんもポッドキャストをやろうと思っていたらしく、そのときのことや、最後には新しい批評誌の提案まで「言葉にする」ことをめぐって話してます。 ではではまた次回。 オリジナルの収録日...

粟田大輔くんと話す、その3 三回目のセッションでは、ぼくが粟田さんの質問に答えています。豊かな現実の出来事と作品はどういう関係にあるのか、ということから、作品とそれを作ったぼく自身の身体的なリアクションのことまで、つつみ隠さず話してます。 オリジナルの収録日:2008/12/28...

粟田大輔くんと話す、その2 このセッションでは河原温さんの作品をめぐって、その作品をアーティストの身体との関係から話してます。一見、身体的な表現とはほど遠く見える河原さんの作品を、ぼくたちがいやおうなく縛られているこの身体があくまでベースとなって生み出される身体的な作品であるとい...

粟田大輔くんと話す、その1 第二回目の今回は、粟田大輔くん(美術解剖)をお迎えしてお送りします。きっかけは「奥村雄樹くんと話す、その4」のなかでぼくと奥村くんが飲み会での粟田くんの発言を肴にしゃべってしまったこと。明文化されていないものをとりあげるのはあまりよくないのでは、という...

奥村雄樹くんと話す、その4 なにかを感じて、それをひとまずはじぶん自身から突きはなす、ためにいったん忘れる。解除する。それがもういちど置きなおす。でもそれがどういうふうに置かれるか、その再配置を決定する判断の中に、最初の感覚が使用される。と、とっても抽象的だけれども作品制作のプロ...

奥村雄樹くんと話す、その3 偶然に作品はできないけれども、作品のなかには偶然が入っている、ということがどうやら必要なことらしい。というのはぼくも奥村くんもわかっている。でもそれはなぜなんだろう。 その偶然というものを「ノイズ」ととらえ直してもいいかもしれない。 作品のなかに含まれ...

奥村雄樹くんと話す、その2 たとえば自分とはなんだろうか、たとえばなぜ作品の中に日常の風景が出てくるのか、いやそもそも日常と非日常の違いがあるのかないのか、などなど。つづけて録音されたこの二回目のセッションでは、ノーカットの会話特有の矛盾もちょっと出てきますが、さらに白熱(?)し...

奥村雄樹くんと話す、その1 今回は、批評活動もしているアーティスト、奥村雄樹くんといままでのぼくたちのなかでの会話ややりとりをまとめつつ話してみた。 たとえばぼくたちはこの世界をどのようにとらえてそれを作品に反映させているのか、とか。そうしたことが話の中心になってます。 なぜ、ま...