
「死は結局のところ、分からない。分からないなら、信じてみよう。」2017年3月20日 法華感話会
院首 及川真介「小乗仏教は、自分さえ悟りを開けばいいと考え、大乗仏教は、人様を救おうと考えます。人は死後、ただゴミになるという人もいれば、日蓮様の元に行くと思う人もいます。結局は、その人が何を信じるか?人それぞれの信仰なのだと思います。」
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高層ビル街の一角にある、静寂な空間。信仰のあるなしに関わらず、ご参加いただけます。

院首 及川真介「小乗仏教は、自分さえ悟りを開けばいいと考え、大乗仏教は、人様を救おうと考えます。人は死後、ただゴミになるという人もいれば、日蓮様の元に行くと思う人もいます。結局は、その人が何を信じるか?人それぞれの信仰なのだと思います。」

院首 及川真介「過去を追わず、未来を願わず、今をよく見て、正しく生きていく。お釈迦様も日蓮聖人も、辛い法難に見舞われる時こそ、夢を持ち、信心がありました。ボロボロでももう一歩進もうと生きていく、信仰は気持ちなんだ、と思います。」

院首 及川真介「戦後の日本は、食べる物がないから豊かになろうと努力してきましたが、現代では心の安らぎを失いつつあります。昔のインドの人は、お釈迦様の教えを信じ、死後の幸せを聞き、来世までも納得して、心安らかであったそうです。」

院首 及川真介「安らかな死を迎えるために、何をすればいいのでしょうか。原始仏教にあるお坊さま達は、お釈迦様の話を聞き、どのように生きたのでしょう。頑張り過ぎずほどほどに、今を重ねて生きることが、安らかな死につながってゆくのだと思います。」

院首 及川真介「現代の私たちは、死んだら灰になると考えますが、昔の人は来世があると説くお釈迦様を信じました。心が安らぐから、人は信仰するのでしょう。私たちはどのように信仰を持って生きるとよいのでしょうか。」

院首 及川真介「死を迎える苦しみを受け止めるのは、難しいですね。長生きによって介護や孤独死の問題が出てきましたが、歳をとっても誰かのために役立つ生きがいは、生命力になるといいます。」

龍王寺 山本光明 上人「雖近而不見」1番身近にいる家族が、自分のために大変な苦労している姿は、見え辛いものです。日蓮大聖人様の教えも、人の欲によって見え辛いのですが、いつも傍にあります。

院首 及川真介「人は思い通りにならない毎日を過ごし、必死で生きています。お釈迦様も同じ人間ですが、一族が皆殺しになったにも関わらず、どうして安らかに死を迎えられたのでしょうか?」

院首 及川真介「断末魔」関節を切られるような苦しみを意味します。仏教では、人生とはこのように痛みを味わいながら生き、「生老病死」すべてが、生きることそのものだと言われています。

院首 及川真介「そうか、もう君はいないのか」城山三郎さんの著書では、失った伴侶のありがたさが分かります。原始仏教では、どのように救いを見出すのかをお話しします。

院首 及川真介「人は、死んだらどうなるんでしょうかね?この世で息を引き取った後、人間はどこへ行き、一体どうなるのか―?みなさんは、考えたことがありますか?」